日本の教育が変わろうとしている。2020年から、これまでの知識を重視する教育から、「思考力・判断力・表現力」を育てる方針に大きく変わろうとしている。
その背景には、伸び悩んでいる日本経済が世界市場で勝つためには、知識を詰め込むだけの教育ではなく、自分で考え、動け、表現できる人間を育てないといけないとされているからだ。
とはいえ、「生徒が主体的に学びたい」と思える学習の場を作るのはなかなかに難しい。
そうした人間を育てる一つに、アクティブラーニングと呼ばれる学習手法がある。
学習を行う生徒が受け身な授業ではなく、能動的に学ぶことができるような授業を行う学習方法のことで、例えばグループディスカッションやディベートを中心とした学習だ。
大学やビジネススクールではよく目にする手法だが、アクティブラーニングは小中高生の学習にも積極的に取り入れるよう文部科学省も推進している。
そんななか、そうした学習を実践している学習塾がある。それはなんと、神奈川県辻堂にあるおでん屋さんだ。
一見、商店街の中にあるおでん屋さんなのだが、夕方になると店の奥から中高生の子どもたちが話し合う声が聞こえてくる。
それが、おでん屋を間借りしながら運営する寺子屋「陽向舎(ひなたや)」だ。
「陽向舎」を運営するのは、ミレニアル世代の起業家・阿曽沼 陽登(あそぬま きよと)。
阿曽沼氏は、岡山県倉敷市で育ち京都と東京での浪人生活を経て、北海道の牧場に住み込み酪農業に従事したのちに、東北の被災地での教育ボランティアを経て、24歳で慶應義塾大学SFCに入学したという経歴を持つ。
一体どういう経緯でおでん屋で寺子屋を運営するに至ったのだろうか?
また、彼は日本の教育にどんな未来をみるのだろうか?
「おでん屋という場所が持っている力はすごく大きい」
ー本当におでん屋さんなんですね!商店街の空気もいいし、すごく風情のあるお店ですね。
でも、どうしておでん屋さんで塾を開くに至ったんでしょう……?
阿曽沼:このおでん屋ひなたは、僕が大学時代にバイトをしていたお店なんです。
当時から将来教育の仕事をしたいと思っていて、ここのおでん屋のオーナーが、「一緒にお金借りてやるからどこかでやろう」と言ってくれて。オーナーと一緒に公庫にも行ったりしたのですが、やっぱり厳しくて。
そのときオーナーから「だったら、うちの店でやったらどう?おでん屋で生徒が集まれば、今後どこでやっても集まるでしょ」と言われたのが始まりです。大学三年生のときですね。あまり深く考えずに、なんか面白そうだなという感じで始めました。ちなみに最近はあんまり呼んでもらえてないですけど、いまでも月に数回はバイトしています。(笑)
そこから4年、おでん屋ひなたで阿曽沼氏は寺子屋を経営している。
阿曽沼:最初は「そんなところに子どもを通わす親なんていない」って言われてましたよ(笑)でもやってみてわかったのですが、おでん屋という場所が持っている力はすごく大きいんです。蛍光灯とパイプ椅子が並んでいる、そういういわゆる「塾」じゃない場所で子どもたちが集まって勉強し、その反対側ではお客さんが飲んでいる。そんな人が集う中に学びの場がある感じがすごくいいな、と今では思っています。
取材当日は夕方の5時ごろだったが、この日もおでん屋の客席の奥で、学生服の中高生が楽しそうに会話をしながら勉強をしている様子が垣間見えた。なかには「陽向舎」を卒業した大学生の姿もあり、彼らは生徒たちの兄のように親しそうに振舞いながら、勉強を教えているようだった。
気になるニュースはSlackで生徒とシェア。「自分はどう思う?を言葉にしてほしい」
ーここではどのように勉強を教えているのですか?
阿曽沼:授業のカリキュラムとかはなくて、1つのテーブルをみんなで囲って勉強しています。英数国理社をベースではみているけど、一応見ているぐらいの感じで。よく言えば本当に「オーダーメイド」ですね。キャパ的に最大でも6人程度しか同時に来られないですし。
とはいえルーティンのようなものはあります。そのひとつがぼくを含めたスタッフがslackというSNSで自分が気になるニュースを生徒たちにシェアして、それを素材にディスカッションする時間です。子どもたちに求められるのは「あなたはどう思うか」を言葉にすることです。スタッフを含めた「いろんな見方」に触れ、問いを獲得する場になればいいと思います。それは学校の勉強をしているときも変わりません。手段が違うだけです。
こちらから素材を与えていなくても、ふとした会話の中で『ニュースで聞く話のこんなことが分からない』と生徒が言ったら、それが一気にその場の議題になることはよく起きます。そういった横にと下に深くなっていく形の学習をサポートしています。社会課題に限らず、小学生だったら、円周率はなんで3.14になったのか、高校生なら物理のエネルギー則はどこから来たのか、とかそういう題材も扱います。境界は特にないですね。
「陽向舎」は辻堂のほかに鎌倉でもイタリアンレストランの定休日を借りて塾を行なっており、生徒は小学生から高校生まで合わせて30人ほどだという。阿曽沼氏と3人の大学生がスタッフとして関わっている。それに加えて「きよとの時間」と称して、理数国社ではない学びを行う授業が「陽向舎」の大きな特徴だ。
「きよとの時間」ではゲストとしてあらゆる分野で活躍する社会人が先生として登場し、社会で起きている様々な事柄について勉強する。
例えば、大学の研究者が自身の研究内容についてレクチャーしたり、中央省庁の官僚が政治について語ったり、表参道でお店を構えるシェフを呼んで「衣食住」について考えたり、リベラルアーツな学びの場だ。
この日も「お金について学ぶ」というテーマで、広告代理店の事業開発部の社会人をゲスト講師に招き、学校では触れない「投資」や「出資」といったお金についての授業を行なっていた。生徒たちは聞きなれない言葉ながらも熱心に聞き、時には質問に答え、社会のなかでどうお金が動いているのか、どうやってお金を使っていくかという学びに取り組んでいた。
「知らないことは選べない。」生徒の選択肢を広げ、環境の格差を埋めていくための場所。
ー理数国社以外の学び以外に、そうした時事問題や社会について学ぶ場を作る「きよとの時間」を始めたきっかけはなんだったのですか?
阿曽沼:日本の中にある教育や経済の格差は割と見えやすい問題としてあがっていますが、それ以外の格差もあるとずっと思っていました。それが環境の格差です。最近ではいわゆる「文化資本の格差」として、議論に上がることも増えてきましたね。
読書体験なども要因としてあげられますが、結局のところ、「誰と出会い、どんな対話をして、その中でどんな問いに触れるか」ということが、自身の思考の幅や行動、人生の選択肢の広がりにも差を生んでいると思っていました。それこそが格差というか、社会の分断を生み出しているんじゃないか、と。
そんなときにアメリカでトランプ大統領が誕生したんです。塾を始めて半年ぐらいの頃で、個人的には超衝撃的な出来事でした。トランプ大統領が当選した経緯にはアメリカにある格差社会が紐づいていますよね。都市部と郊外の経済格差、その要因となる教育格差、文化格差のようなものが票に反映したと言われています。でもなにより、個人的に問題だと思っていたのはトランプが当選した事実よりもそれを多くのメディアや多くの「アメリカ人」「アメリカ在住(経験)者」が全く予期していなかったということです。あれこそが「社会の分断」をより強く意識した瞬間でした。「きよとの時間」ではそういう分断を理解し、越える場をつくろうと思ってはじめました。
阿曽沼:授業を行って印象的だったのは、ディスカッションの最後に『トランプを支持するか?』という質問をしたときに手をあげた生徒がいたことです。教育者として、一つの思想に生徒を誘導するのではなく、きちんと生徒が自分の頭の中で考えて、手を上げることができる空気を醸成できていたんだなと思い、嬉しかったですね。こういう場をもっと作れればいいなと思って、そこからいろんなテーマでやり始めました。
ーなるほど。社会の中に広がっている「分断」への意識がこういった場を作ったんですね。
阿曽沼:「分断」は根深い問題ですが、必ず解決したほうがいいと思っています。例えば辻堂校に通う中高生のご両親は大学に進学していない方も多くて、そうなると自然と子どもの選択肢にも大学がなかったりするのですが、鎌倉校の場合はその真逆の現象が起きている。これもひとつの分断と捉えることができます。
進学することがいい・悪いではなく、その選択肢の違いや環境、影響を知っておくのが大切だと思うんです。知らないことからは選べないですから。
余談ですが、トランプの授業には近所のサラリーマンや大学生、保護者の方もいたのですが、そのなかに友人のイェール大学(ヒラリー・クリントンの母校)の卒業生がいました。彼は授業後に「人生で初めてトランプ支持者に出会ったよ」と言っていましたね。(笑)
こうしたことを聞くと、生徒たちは元から政治や経済に興味のある熱心な中高生という印象を受けるかもしれない。が、実際はこうした授業を重ねていくごとに、生徒たちの学習の意欲が自然と上がり、学習の興味を掘り下げていくような学びを意識的にしていくのだそうだ。
そうした学習の仕方がクセ付き、学びの楽しさを知り、強化の点数が飛躍的に成績が上がり、学年1位になった生徒もいるという。
阿曽沼:最初はなんの話をしているか、わからなくてもいいんです。まずは知っておくことが大切。分からないことをたくさん持っておけば、いつかそれをわかろうとするかもしれなません。それが学びの種になるはずです。でも、知らなかったら「わからない」は出てこないですから。知らない人間はわからないことがないんですよ。それがまさしく思考停止です。それは避けてほしい。
こういうやり方をしてきて、結果的に子どもたちの成績が上がった、ということは確かにありました。だからといって「陽向舎」は成績を上げる塾なんですか、といわれると難しいです。
ただうちは「学校のテストなんてどうでもいい」とは言っていません。テストで点数をとることだって、立派な「プロジェクト」のひとつだと考えられるからです。PBL(プロジェクトベースドラーニング)や、アクティブラーニングはいわゆる座学に対置されがちですが、それらの一部に座学は含まれるはずです。
まさに「陽向舎」は、これからの日本の教育現場で必要とされている、アクティブラーニングな学びの場所となっている。おでん屋という意外な場所で、「自分で考えられる人」になるための教育を行う阿曽沼氏。
彼はなぜ教育教育分野に挑み、どこを目指すのか?
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