神奈川県辻堂に、一風変わった学習塾がある。
おでん屋を間借りしながら運営する寺子屋「陽向舎(ひなたや)」だ。
「陽向舎(ひなたや)」では、小学生から高校生まで、1つのテーブルを囲み授業を行う。
英数国理社はもちろん、特徴的なのは時事問題や社会問題について膝を付け合わせて疑問や意見を交わすということだ。
例えば香港のデモ運動しついてどう思うか、トランプ政権についてどう思うか……など、学校の義務教育では避けてしまいがちなテーマも「陽向舎(ひなたや)」では切り込む。
そして、それらは大人が教え込むのではなく、生徒たちが自主的に「このニュースどういうこと?」と疑問を投げかけてから話し合うのだという。
「陽向舎」を運営するのは、ミレニアル世代の起業家・阿曽沼 陽登(あそぬま きよと)。
阿曽沼氏は、岡山県倉敷市で育ち京都と東京での浪人生活を経て、北海道の牧場に住み込み酪農業に従事したのちに、東北の被災地での教育ボランティアを経て、24歳で慶應義塾大学SFCに入学したという経歴を持つ。
前編では「陽向舎」がどういった場所でどのような教育を行なっているかについてインタビューを行なった。
後編では、阿曽沼氏がなぜ教育分野で事業を行い、いまの子どもたちに思うことや未来について切り込んでいく。
「官僚の人もコーラ飲むんですね」って生徒の一言でこの場を作ってよかった、と思った
ーそもそも、どうして学習塾を経営したいと思ったのですか?
阿曽沼:教育の仕事をやろうと思ったのは、東北で教育のボランティアをしたのがきっかけです。
そもそも僕は医者を目指していて、京都と東京で多浪したのですが受からず、もう無理だと思って北海道の牧場に行ったんです。この話をするとすごいね、と言われたりすることもあるんですが、完全なる逃げ、逃亡でした。あのときはもう人生終わった、ぐらいに思ってましたから(笑)
もう帰る場所がない、と思っていたので、その場所で必死に何ヶ月か働いていたのですが、あるとき東日本大震災の被災地で教育系NPOのボランティア募集を見て、興味本位で行きました。純粋な被災地への興味と、浪人した「勉強の蓄積」をなにかに使いたい、と思っていたんです。そこでの経験がきっかけで教育業界で何かやりたいって思うようになりました。
そこでのNPOの活動は、基礎学力をあげることよりも、子どもたちが弱音を吐ける居場所を作ることに重きを置いたものでした。勉強と居場所の両方を担保することはすごく難しいのですが、だからこそ面白かったですね。
一方で、震災とは無関係に、東北の沿岸部における環境の違いみたいなものをとても強く感じました。大学に進学すること、地元を出ることに馴染みがない中で、選択肢がとても少ないように思ったんです。言ってしまえば、あの地でもある種の分断を感じたのかもしれません、どちらがいい・悪いではなく。
ーそういった分断を感じた経験が、「きよとの時間」といった、様々な社会人の方が生徒たちと社会についてディスカッションする場に繋がっていくんですね。
阿曽沼:「きよとの時間」には芸術家から官僚までほんとに多くの人が来てくれていますが、大切にしていることのひとつは、社会、そして選択肢に対して”手触り感”を持つことです。
ちょっと笑える話ですが、官僚の友人に来てもらったとき、正直に言ってその場自体はそんなに盛り上がらなかったんですが(笑)、友人が帰ったあと、ある生徒が「あんな人でもコーラ飲むんですね」と言ったんですよ。ぼくはその一言で「あぁ、この場をつくってよかったな」と思いました。うちが一貫して大切にしたい価値観のひとつはそういうもので、その思いが芽生えたのはやはり東北の経験からです。
その手触り感を伝えるために、それぞれの分野の第一線にいる人を呼ぶということもあれば、生徒たちを田んぼに連れて行ってお米を作ったり、離島に連れて行って「田舎」を体験したり、ってことをしたりもしています。
そこから教育業界で働くには学歴も必要と思い、慶應義塾大学に24歳で入学。大学のかたわらバイトをしていたおでん屋さんで寺子屋「陽向舎」を開学し、現在に至る。
最初の生徒はすでに大学3年生になり、いまでも阿曽沼氏を慕って「陽向舎」に顔を出したり先生として関わっている。
ー教科書を撫でるだけの学びではなく、社会で起きていることを掘り下げ、生徒自身の知的好奇心をくすぐることが「陽向舎」の最大な特徴な気がします。そうした学習が大切だと気づいたきっかけはなんでしょうか?
阿曽沼:まさに僕自身がそういう環境に育ったということが大きいですね。はっきり言って、僕は学校でなにかを学んだ記憶がないんですよ。学校で教わったことなんてほぼなにも覚えてない。(笑)
でも親族・家族、家に遊びに来た大人たちに「ばかやろう、おまえなんにも分かってないな!」と言われながら頭を使ったこと、そこで投げかけられた問いはよく覚えています。
それは「教える」「討論する」といったことを目的に集まるのではなく、もっとカジュアルに、ご飯の時間の会話の種がそういう類のものであった、ただそれだけでなんですよね。そんな風にもっと気軽に、自然に「教育現場」が生まれたらいいなと思っていたことがこの場所にもつながっています。
だからおでん屋やレストランというのはとてもいい環境でした。うちでは”朝勉”と称して、朝ごはんをみんなで食べて勉強するといったことをやったり、「きよとの時間」には保護者や大人の方も参加できるので、テーマによってはお酒やおでんも出してたりしるのですが、そうやって食を囲んでひとつの問いを投げかけると、自然と会話が深まったりするんです。
この間は香港でカフェをやっている友人が遊びに来てくれて、みんなでご飯を食べてたんですよ、授業前に。そしたら自然な流れで香港のデモの話になって。あのデモにどんな意味があってどんな影響があるのか、それらを踏まえてあのデモをどう捉えるか、ということをみんなで話していました。意図せずでしたが、あれはまさしく僕にとっての「学び場の原風景」でしたね。
「”勉強”は、子どもたちの心を開く大きなメディア」
ー今日授業を見ていて、阿曽沼さんが生徒たちにすごく慕われているのが伝わって来ました。阿曽沼さんも友達のように生徒たちと接していて、そこに大人と子どもの壁を作っていないような。生徒たちも軽口を言ってみたり、とも思えば真剣に質問をしたりとすごく居心地のよい場所なのだろうと見ていて思いました。世の中には子どもたちとの距離を掴むのが苦手な大人もたくさんいます。どうやって子どもたちの心を開いていくのでしょうか?
阿曽沼:慕われているかはさておき、うちは塾なんで最初に生徒の扉を開く入り口は勉強です。勉強がコミュニケーションツールですね。生徒がわからない二次関数を一緒に解いたり、わかるって生徒が言っても『俺の方がわかるし!』ってやってみたり(笑)
大人の誰もが通って来た”勉強”は、子どもたちの心を開く大きなメディアだと思っています。誰もが勉強はつまらないこととか、評価されてしまうもの、って思って避けてしまいがちですが、実は誰しもと会話のできる共通言語でもあると思っています。勉強ってすごいんですよ、実は。
もうひとつあるとすれば嘘をつかないことです。これはスタッフにもよく言われることですが、基本的にぼくは生徒を子ども扱いすることはしません。常に自然であること。そこはなによりも大切にしています。
だから合わない子もいると思います。それは仕方ないですよ。ぼくは多分多くの人に好かれるタイプではないので。(笑)
子どもたちには「ヤンキーになれよ」って言ってるんです。問いを持って生きる人間であってほしいから。
ーここを巣立っていく生徒たちに、どんな大人になってほしいとかありますか?
阿曽沼:正直あんまりないです。こういう質問は数多くされますが、難しくないですか?ぼくの思った通りの人になったとして、それってめちゃくちゃ怖いな、とも思うし僕の想像を超えていってほしい。と言いつつ、あえて言うなら問いを持って生きる人間であってほしいとは思っています。与えられたものをただただ無批判に受け入れる、そういう受け身な人にはなってほしくないですね。前提を疑うというか、「なんで?」とか「わからない」という疑問を素朴に抱ける人間になってくれたらな、って。
だから最近はよく子どもたちに「お前らヤンキーになれよ」って言ってるんですよ(笑)ヤンキーのメンタリティって本来的にはそうじゃないですか。常に「なんでだよ!」っていう疑いを持っている。そしておかしいものにはおかしいと声を上げる。それはルールに対してだったり、大人に対してだったり。そういうのって大切だと思うんですよね。
でもにじみ出る振る舞いはやさしくあってほしい、とは思います。ぼくをよく知る人にはお前が言うな、と言われそうですが(笑)究極的にいうと、僕は優しい人がたくさんいる社会になって欲しいんです。そういう社会が豊かな社会に必要な要素だと思う。
やさしさにはいろんな種類のものがあると思いますが、ひとつは想像力を持つこと、つまり「ブレること」だと思っています。ブレないことがすごくいいことのように語られがちですが、価値観の両極を行き来することで初めてわかることってたくさんある。結局、今ある社会課題には、絶対に正しい答えなんてものがないから社会課題になっているわけです。そうであるならば、自分が一度信じたものをその後信じて疑わないという態度よりも、こういう見方もできるな?とか、あの人が言っていることも一理あるかもしれないな、という風に両極に振り子のようにブレながら、それでも前に進んでいく態度こそが誠実だと思うんです。螺旋階段のように。それってすごい苦しいことですが、そのブレの振れ幅がやさしさを生むのではないかな、と。
自分自身も子どもたちの前に立つときは、そういうあり方を意識しています。
「陽向舎」では様々な社会課題を扱いますが、価値観をインストールするのではなく、感じ方を紹介する。一般的な見方とは違う面を見せるという。それで彼らがどう感じてどう考えるかを、僕は見守りたいと思っています。
でも子どもに限らず、大人だって基本的には正解を求めがちですよね。正解がある方が楽ですから。問い続ける、ってほんとに辛いんですよ。言い切るほうがずっと楽。でもそこは、逃げるな、と。問いを抱えろ、と伝えていますね。問いなき生なんて、死も同然ですから。
ーそういう意図が伝わったな、と思う瞬間はありますか。
阿曽沼:なかなかないですね(笑)やってることに意味あるのか?と思う時もいっぱいあります。けど、ごくたまに伝わったなって感じることがあるんですよ。
半年前ぐらいに「陽向舎」をどういう場にしていこう、と生徒たちと話し合った時に、生徒の1人が「この場は自分が思っていなかった問いに出会う場だと思う」って言っていて。
もっと勉強を教えてほしいという子がいても不思議ではないけど、彼らの口から出てきたのはこういう場所であることをやめないでほしいという意見でした。知らないことに出会えることがこの場所の価値だって伝わっていて、すごく嬉しかったし感動しましたね。ある意味、予想外でもありました。全然伝わってない、ぐらいに思ってましたから。
東北で教育に関わりはじめてそろそろ10年ぐらい経つのですが、時間を経て見えてきたこともあります。過去の教え子たちの存在です。お世辞もあるのかもしれないけど「あの時間がなかったらいまこんなことを考えていない」「こんな選択はしなかった」など、単に楽しかったを超えて、未だにあのときの時間が彼・彼女たちの中で大切なものとしてあることを伝えられると、やっぱり嬉しいですね。
目の前のテストが大事な中高生にとって、短期的な成果に繋がらない学習が一体どのように受け取られているのか、難しい部分ではあるだろう。
だが、阿曽沼氏の目的とする深く広い学びは確実に生徒たちに価値として届いていた。
実際、この日来ていた高校生の生徒に「陽向舎」をどう思うか伺うと、「ここにきて、自分の興味以外にも面白いことが他にあるって気づいた」「ニュースで気になったことを頭に留めるクセがついた」「違う世界が広がった」と楽しそうに教えてくれた。
ー今後の展望はどういう風に考えているのですか。
阿曽沼:教育という手段で、社会をシャッフルしたいというのが僕の大きなビジョンのひとつです。そもそも教育の世界ってシャッフルが起こりづらいんですよ。そもそも学校の先生って大学を出ている人しかなれませんしね。あらゆることに、あまりに余白がなさすぎるんです。シャッフルを起こそうにも「あそび」がない。もっとカオスが必要だな、って思います。
とは言え、最近は教育の世界も変わりつつある。それは学校教育も含めて、です。僕はもはや学校教育にこだわることさえ無意味だと思ってますが、公教育を含めた教育業界がどんどん楽しくなっていったら、僕はこの業界にいなくてもいいかなと思ってます。
まさに”ブレる”じゃないですけど、自分が教育をやる人間、とはあんまり思っていないので、教育という業界にとどまらず、いろんなチャレンジをしていきたいですね。
とはいえ、教育者っていわゆる教育現場にいる人だけではないと思うので、日々の生活の中で、教育的な佇まいを持った人間ではあり続けたいです。
そう語る阿曽沼氏は、誰よりも生徒の紡ぐ未来をまっすぐに見据え、教育業界に挑んでいる。
今の日本教育のロールモデルとなるおでん屋は、今日も世界中のニュースにアンテナを広げ、ディスカッションをおこなっている。