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神奈川県辻堂に、一風変わった学習塾がある。
おでん屋を間借りしながら運営する寺子屋「陽向舎(ひなたや)」だ。

 

「陽向舎(ひなたや)」では、小学生から高校生まで、1つのテーブルを囲み授業を行う。
英数国理社はもちろん、特徴的なのは時事問題や社会問題について膝を付け合わせて疑問や意見を交わすということだ。
例えば香港のデモ運動しついてどう思うか、トランプ政権についてどう思うか……など、学校の義務教育では避けてしまいがちなテーマも「陽向舎(ひなたや)」では切り込む。
そして、それらは大人が教え込むのではなく、生徒たちが自主的に「このニュースどういうこと?」と疑問を投げかけてから話し合うのだという。

「陽向舎」を運営するのは、ミレニアル世代の起業家・阿曽沼 陽登(あそぬま きよと)。

日本の教育が変わろうとしている。2020年から、これまでの知識を重視する教育から、「思考力・判断力・表現力」を育てる方針に大きく変わろうとしている。

その背景には、伸び悩んでいる日本経済が世界市場で勝つためには、知識を詰め込むだけの教育ではなく、自分で考え、動け、表現できる人間を育てないといけないとされているからだ。

とはいえ、「生徒が主体的に学びたい」と思える学習の場を作るのはなかなかに難しい。

そうした人間を育てる一つに、アクティブラーニングと呼ばれる学習手法がある。

学習を行う生徒が受け身な授業ではなく、能動的に学ぶことができるような授業を行う学習方法のことで、例えばグループディスカッションやディベートを中心とした学習だ。

大学やビジネススクールではよく目にする手法だが、アクティブラーニングは小中高生の学習にも積極的に取り入れるよう文部科学省も推進している。

 

そんななか、そうした学習を実践している学習塾がある。それはなんと、神奈川県辻堂にあるおでん屋さんだ。

 

一見、商店街の中にあるおでん屋さんなのだが、夕方になると店の奥から中高生の子どもたちが話し合う声が聞こえてくる。

それが、おでん屋を間借りしながら運営する寺子屋「陽向舎(ひなたや)」だ。

IA(イア)」という歌姫の存在を知っているだろうか?彼女はヴァーチャルアーティストとして世界中にファンを持つ。ボーカロイドとして登場した彼女は、ニューヨーク、ロンドン、上海、香港、メキシコなど世界12都市を巡るワールドツアー公演を行うなど、今世界を席巻している歌姫だ。
まさに、日本と世界を繋げる、近未来の歌姫である。


IAの所属する会社の代表取締役かつプロデューサーである村山久美子氏は、今やボーカロイドの分野では名の知れた存在だが、最初からボーカロイドやいわゆる2次元と呼ばれる世界のことを知っているわけではなかったそうだ。

今回は、村山氏に知識・経験がゼロの状態からボーカロイド界を牽引していくまでになった村山氏にインタビューを行い、IAの誕生や世界進出までの道のりや、今後について語ってもらった。

1990年代にインターネットが一般家庭に普及してから、早20年以上。

インターネットを通して誰でも簡単にどこでも情報発信ができる時代になるにつれ、様々な新しい働き方や職業が世界中に誕生した。WEBデザイナー、アプリエンジニア、最近ではインスタグラマーやYoutuberも20年前には想像もつかない仕事の一つだろう。

ブログによって生計を立てている職業”プロブロガー”もその中の一つだ。

”プロブロガー”は、ブログの記事内で紹介した書籍や商品のアフィリエイトや広告などで生計を立てる職業で、日本語圏より人口ボリュームのある英語圏においては誠に多種多様なプロブロガーが活躍している。

 

この”プロブロガー”という概念は、オーストラリアのブロガー・Darren Rowse氏のサイトによって誕生した。Darren Rowse氏は、2004年にブログで生計を立てるための方法論を紹介するサイト「ProBlogger」を設立し、サイト内でそのノウハウを展開している。

 

「これからは個の時代」と囁かれて久しい。働き方改革は注目を浴び、AIにより十年後なくなる仕事・なくならない仕事の予測は常に話題だ。
自分のスキルを持って、個人で生きていくことに憧れを持つ若者も多いだろう。
やりたいことをやるという風潮が高まり、起業意識を持つ若者も年々増えている。

「別に会社か会社じゃないかっていうのはあまり関係なくて、オモロイことは各々発信できるんじゃないかな。」

今年もいよいよ終わり。2018年もSNSやアプリなど、様々なブームが若者によって生み出されました。

今回、流行の最先端にいるリアルな女子高生に2018年のリアルな流行を聞くべく、
都内に通う女子高生3人に話を聞きました。

前編では、SNS事情やカメラアプリ事情について、
後編では、今年爆発的に流行ったTikTokなど動画事情について聞いていきます。

(前編はこちら:SNOWって今も使うの?2018女子高生トレンドをJK3人に聞いてみた

今の女子高生は、2000年〜2003年に生まれ、物心つく頃からスマートホンがあった「ジェネレーション世代(Z世代)」と呼ばれています。

小学生からTwitterやInstagramがある時代に生まれた彼女たちの中では、日々様々な流行が生まれています。

今回、2018年に流行った、リアルな女子高生のトレンドを聞くべく、都内に通う女子高生三人に話を聞きました。

「好きなことを仕事に」。SNS時代の近年、働き方を語る上で常套句になりつつある言葉だ。好きなことは誰しもにあることかもしれない。けれどもそれを仕事にするということは……?

今回探るミレニアルズは、まさに「好きなことを仕事にした人」。

株式会社ライトアップコーヒー(以下LIGHT UP COFFEE)の創業者であり、代表を務める川野優馬(以下川野)。川野は大学在学中にLIGHT UP COFFEEを創業し、現在東京と京都に計3店舗を展開している。元リクルート社員という経歴を持つ彼は、“美味しいコーヒーで世界を変える“と語る。

だが、その道のりは決して生半可なものではない。

 

LIGHT UP COFFEEは、自家焙煎コーヒーショップとして2016年に吉祥寺にオープン。アジアを中心に世界各国のコーヒーの産地から直接取り寄せた豆をその場でハンドドリップで提供する。

ここ数年、ファッション界隈のストリートブームやコーヒーのサードウェーブに引っ張られるように、オーナーがこだわりを持って運営をするインディペンデントショップが注目を浴びている。そうしたショップは、大手のチェーンやフランチャイズのように大規模な広告やプロモーションはできないが、Instagramなどの投稿や口コミによって人気に火がついている。インディペンデントショップの流行には、今のSNS時代も背景の一つにあるだろう。

名古屋・大阪・福岡といった都市それぞれのオーナー独自のカルチャーを反映した個性派インディペンデントショップが注目される中、日本の古都・京都が盛り上がっている。

シティーボーイのファッション誌として創刊40年以上のPOPEYE(マガジンハウス社)が、2012年にリニューアル以降初めての京都特集を2017年に刊行するなど、”寺社仏閣だけではない、オシャレな街・京都”のイメージも定着してきた。

それを説明するのに欠かせないお店が、京都の繁華街・河原町にある。それが、サワー専門店・Sourだ。2016年にオープンして以来、感度の高い若者が京都に遊びに行くと合言葉のように「Sourって知ってる?」という言葉が飛び交う。

香港・東京・大阪と国内外でポップアップショップを展開し、最近では新宿・BOOK&BED TOKYOや、渋谷・KOE HOTELや、大阪・BIO TOPなどで期間限定コラボショップを展開し、注目が集まる。

インディペンデントとは”自由な・独立した”といった意味だが、その意味の通り何にも属さず、その上でこのように名を広め、注目されるコンテンツを生み出すために、一体Sourはどうやってきたのだろうか?

紗蘭やmimmamなど、ティーンから絶大な支持を得るモデルが所属するN.D.Promotion。原宿系・青文字系のモデルを中心にマネジメントを行い、SNS総フォロワー100万を越えるインフルエンサーネットワークを持つ。モデルたちのスカウトは、社長の金丸雄一氏が自らSNS上でするという。インフルエンサーやYoutuberなど、タレントの形が多種多様な現代で必要とされるエージェンシーのあり方とは。社長の金丸雄一氏に聞いた。

 

起業当時の主力メディアはアメブロ

ーーSNS上でスカウトをする手法に代表されるように、モデル・タレントのマネジメント会社として、従来の会社とは違う特徴を持っています。そもそも、どういう経緯で立ち上げられたのですか?

ファッション系のサークル『Nom de plume』を大学生で立ち上げたのがきっかけです。当時スナップを撮るのが流行っていて、スナップサイトが沢山あったので、その活動を学生団体で始めました。ファッションショーを企画して、ブランドから衣装提供をしてもらったり、それに出てくれるモデルを探したり。多いときだと1000人規模でやっていって。その後、僕が大学4年になったタイミングで、僕自身は別の道を目指してたのですが、就職するよりも自分で何とかしようと卒業後、起業しました。サークルの実績で一番知見があったのがファッションや原宿系だったので、それをまずは一人で会社化してって流れですね。

 

ーー最初はどういった事業を?

当時はアメブロが全盛の時代でした。僕がスナップをしてたときから人気が出そうな子がちょこちょこいたので、その子たちにオフィシャルでアメブロを開設します、みたいなサービスをやっていて。並行してキャスティング業をしていたんですが、みんな売れてきたら大手の事務所に入っちゃって、主力な子がどんどんいなくなっちゃったんですね。そうなってくると続けててもあまり継続性がないなと思い、いっそ自社でやろうという流れでマネジメントの事業を始めました。まだスマートフォンも普及しはじめたタイミングで、当時はインフルエンサーという言葉もない時代だったので、今でこそそういった事務所は多いですが、当時周りからはそれが事業になるとは思われていなかったですね。